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【毎週土曜21時放送中】
ーようこそ、World Music Barへ。ー
こんばんは。今夜もお待ちしておりました。
夏の陽がゆっくりと暮れゆくこのひととき、今夜も、お客さまだけの素敵な音楽時間をお届けします。
グラスの中に広がる冷たいきらめきとともに、音の世界へ身をゆだねてみませんか。
一週間の疲れをそっと解きほぐしながら、80年代のノスタルジックな風に身を委ねて。
今宵お届けする曲は、J-POP Queenとして、世界で注目されている杏里さんの「Circuit of Rainbow」(1989)です。
心に陽射しが届くような鮮やかなメロディとクールなModulation(転調)が素晴らしいこのナンバー。どうぞお楽しみください。

1. 杏里とCity Pop
1978年のデビュー以来、日本でCity Popが台頭する中、杏里さんは透明感あるボーカルと洗練のビート、アーバンリゾート感あふれる作品の数々によって、唯一無二の世界観を確立し、最前線に立ち続けてきました。
AORやR&B、Fusionなど当時の海外トレンドを大胆に採り入れ、「CAT’S EYE」(1983年)や「悲しみがとまらない」(1983年)といったヒット曲で、日本のCity Popというジャンルを世界へ広めたアーティストの一人です。
早くから海外での活動を始め、LAレコーディングでは、世界的ドラマーであるTOTOのジェフ・ポーカロ(Jeff Porcaro)や、Quincy Jones作品でアレンジを手掛け、複数のグラミー賞を受賞したトランペット奏者ジェリー・ヘイ(Jerry Hey)ら世界屈指のセッション・ミュージシャン達と共演。こうした国際的な布陣が、杏里さんのサウンドに一層のグルーヴ感と奥行きをもたらしました。
ファッション面でも、当時のトレンドを彼女らしく取り入れたセンスで、メンズライクのジャケットから美しいサマードレス、カジュアルファッションまで幅広く着こなし、ヘアメイクにもこだわったビジュアルで、ファッションアイコンとしても魅了してきました。
アルバムジャケットやライブで魅せるセレクトされたスタイリングは、当時の雑誌やテレビで大きな話題を呼び、都会的でハイセンスなイメージを確率してきたのです。
これら音楽性とファッションの両輪によって、杏里さんはCity Popを日本国内のみならず海外にも知らしめる存在となり、オリジナルアルバム『Circuit of Rainbow』ではその先駆的とも言える新たなCity Pop像をPromoteしたのです。

2.『Circuit of Rainbow』 – 新時代の女性像
1989年に発表されたスタジオ・アルバム『Circuit of Rainbow』のタイトルシングルとなったこの曲は、少女時代~大人の女性へ成長するの儚くも美しい瞬間を描いた作品です。
イントロだけで約50秒という構成は、大胆な設計ですが、じっくりと空気を整え、聴き手の感情が高まってゆきます。
ストリングスとエレクトリックピアノが重なるオープニングは、Cmaj7から始まります。まるで、”Circuit”を走る車のエンジンがかかった瞬間のようです。
そして、Fmaj7 → Em7 → Am7 という進行は、切なくてロマンティックな、新しい物語へ出発するような気持ちにさせます。
この転調が、とても素晴らしく、杏里サウンドの特徴と言えるでしょう。
そして50秒の間に、車はCircuitにある”海のカーブ”へ向かって走り出すのです。
タイトルとなっている「Circuit of rainbow 」は直訳すると「虹のサーキット」。けれどこの曲では、それ以上の意味をもっています。
虹は一瞬で消えてしまうけれど、その一瞬は刹那で、心を揺らす。
この曲で描かれる“虹のサーキット”は、過去から未来に向かう、人間の心の成長や経験による感情が通る道。立ち止まる余裕すらないほど、早く流れてゆくのです。
まさに、“少女から一人の大人の女性へと成長してゆく内面”そのものです。
”サーキット”という言葉が選ばれたことで、スピード感や一直線ではない、軌道の複雑さも含まれていて、感情のコントロールと経験や衝動のあいだで揺れる女性像も浮かび上がります。特に、
”愚かな子供で 幸せだっただけ”
というこの歌詞には、自分自身の過去を振り返る女性の視線がとてもよく現れている部分です。無知だったからこそ、余計なことを考えずにただ“幸せ”を感じられた。 それが「良い意味」での“愚かだった”という自覚とともに描かれています。
「だけ」がついていることで、”その”幸せが限定的だったこと、そしていまはもう過去になったこと伝わってきます。
つまりこのラインは、過去の純粋さへの愛着と、現在の自己認識が交錯する場所なのです。
この視点の変化こそが、“少女”から“一人の女性”への成長を象徴しているのではないでしょうか。
この曲の主人公は、自分の感情を抑えすぎず、でも爆発させることなく、自らハンドルを握り、自分の速度で進み始めるのです。
この“走る感情”の描写は、杏里さんというアーティスト像や作品の中にも表れていて、静かな自立と柔軟な強さ、そして凛とした美しさを併せ持つ新しい女性像を提示しているのです。

3.1980年代後半 ー 時代背景とトレンド
1980年代後半、日本はバブル景気の真っただ中にあり、都市部では消費文化が加速し、ファッション・音楽・ライフスタイルのすべてが華やかに彩られていました。
この時代の東京は、まさに“アーバン・リゾート”の象徴。高層ビルが立ち並び、夜景が街を包み、女性たちはその風景の中で新しい生き方を模索していました。
1986年に施行された男女雇用機会均等法は、女性の社会的地位に大きな転機をもたらしました。
これにより、徐々に“働く女性”としての自立的なイメージへと変化していきます。
“都会的な”女性像は、ファッション誌やテレビドラマを通じて急速にアップデートされていきます。
キャリアウーマンとしての生き方も、憧れの対象となりました。
当時の女性誌ではそのような時代のライフスタイルやファッションなどの特集が組まれ、経済的自立=都会的な洗練という価値観が広がっていったのです。
ファッション面では、ワンレン・ボディコンが象徴的なスタイルとして浸透。
肩パッド入りのスーツやタイトなミニワンピースが流行し、女性の強さと華やかさを同時に表現するスタイルが支持されました。
また、DCブランド(デザイナーズ&キャラクターズブランド)の台頭により、個性を打ち出すファッションが登場。
コム・デ・ギャルソンやヨウジヤマモトなどのモノトーンスタイルも注目され、“カラス族”と呼ばれる黒一色のコーディネートが渋谷・原宿を席巻しました。
一方で、ピンクハウスやオリーブ少女といった可愛らしいガーリースタイルも人気を集め、フリルやリボン、大きな襟などを取り入れたフェミニンなファッションも若い世代の間で定着していきます。
消費文化の面では、ブランド志向、海外旅行、インポートコスメなど、都市生活を楽しむ女性たちが消費の主体として注目されました。
企業やメディアにとっても重要なターゲットとなり、“働くこと”と“楽しむこと”の両立が新しいライフスタイルとして提示されていきます。
とはいえ、すべての女性がその恩恵を受けたわけではありません。
制度の整備と社会の意識のギャップ、そして家庭内での役割分担の固定化など、“都会的な自由”の裏には、見えない制約や葛藤も存在していました。
それでも、1980年代後半は、女性たちが“自分の人生を自分で選ぶ”という意識を持ち始めた時代。
杏里さんの音楽が描く女性像もまた、この時代の空気を反映し、感情をコントロールしながらも、自分の選んだルートを走る女性の姿を表現していたのです。

4.おわりに ー 季節と音楽
季節は、私たちの感情や記憶にそっと寄り添いながら移ろい、音楽はその流れに静かに彩りを添えてくれます。
特に「夏」という季節は、強い陽射しと夕暮れの静けさのコントラストの中で、多くの物語や情景を呼び起こします。
City Popは、そんな季節感を巧みに捉えた音楽ジャンルとして、人々の心に深く響いてきました。
日常の中にあるきらめきや、心の奥にある感情をやわらかく包み込むサウンドは、今なお多くの人の記憶に残り、新しい聴き手にとっても新鮮に響いています。
この「Circuit of Rainbow」もまた、季節と心の移り変わりを描いた作品のひとつです。
海辺の風景や心の軌道をなぞるようなメロディは、時間が経っても色褪せず、聴く人それぞれの「夏」に寄り添いながら、強く前向きな力をもっています。
季節は巡っても、音楽はその瞬間の気持ちや空気を切り取って、私たちの中に残し続けてくれるもの。
透明感のある朝陽、静かな夕暮れ、涼しい夜風、遠くの波音。そんな情景の中で、そっと音楽が流れ出すとき、その日一日の出来事がふっと穏やかに整っていくような感覚をもたらしてくれるのです。
本日も当店にお立ち寄りくださり、ありがとうございました。
どうぞ素敵な夏の休日をお過ごしください。
またのご来店を心よりお待ちしております。
“May the gentle breeze of summer night carry you into peaceful dreams.”

静かな夜のひととき、今夜また、音のそばで。